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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)284号 判決

控訴人(付帯被控訴人) 荏原実業株式会社

右代表者代表取締役 岩城福三郎

右訴訟代理人弁護士 大久保純一郎

同 木村雅暢

被控訴人(付帯控訴人) 東海機工株式会社

右代表者代表取締役 吉田昭三

右訴訟代理人弁護士 鎌田寛

主文

一  付帯控訴人の付帯控訴にもとづき、原判決を取消す。

二  付帯被控訴人(控訴人)は付帯控訴人(被控訴人)に対し、金三四〇一万二五〇〇円及び内金三四〇万円に対する昭和四七年三月二二日から、内金三四〇万円に対する同年四月二一日から、内金三四〇万円に対する同年五月二一日から、内金三四〇万円に対する同年六月二一日から、内金三四〇万円に対する同年七月二一日から、内金三四〇万円に対する同年八月二二日から、内金三四〇万円に対する同年九月二一日から、内金三四〇万円に対する同年一〇月二一日から、内金三四〇万円に対する同年一一月二一日から、内金三四一万二五〇〇円に対する同年一二月二一日から各完済に至るまで年六分の割合による各金員を支払え。

三  控訴人(付帯被控訴人)の本件控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じてすべて控訴人(付帯被控訴人)の負担とする。

五  本判決第二項は、被控訴人が金六〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人(付帯被控訴人―以下「控訴人」という。)

原判決中控訴人勝訴の部分を除きこれを取消す。

被控訴人(付帯控訴人)の予備的請求を棄却する。

本件付帯控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決

二  被控訴人(付帯控訴人―以下「被控訴人」という。)

「原判決中付帯控訴人の主位的請求を棄却するとある部分を取り消す。」とするほか主文第二ないし第四項同旨の判決ならびに仮執行の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

被控訴人主張の請求原因事実は、原判決第三丁裏一行目から同丁の末尾までを次のように改め、同第五丁裏八行目、第七丁裏末行、第八丁裏末行、第九丁表四行目(二箇所)にそれぞれ「3」とあるのを「2」と改めるほか原判決事実摘示の「請求原因」の項に記載されたところと同一であるからこれを引用する。但し右請求原因の項1の(3)のうち「手形(1)」とあるのを「手形(7)」と訂正する。

(6) 本件手形は、控訴人の営業第二課長の職にあって営業に関し顧客の獲得、取引内容の決定、契約の締結・履行等を行う権限のある福本陽市から、被控訴人専務取締役瀬尾文男が交付を受けたものであるところ、仮に、右各手形の第一裏書欄の控訴人名義の裏書が控訴会社の代表者により又は代表者の意思に基づいてなされたものでないとしても、次のアないしオに記載の事実からすれば、控訴会社において権限ある者により真正に作成されたものであり、かつ福本がこれを交付する権限があるものと信ずるについて正当な理由がある。

二  請求原因事実に対する認否

次に付加するもののほか原判決事実欄の「請求原因に対する認否」の項に記載されたところと同一であるからこれを引用する。

1  主位的請求(手形金請求)について

福本陽市は、自ら代表取締役として主宰していた荏原海運の資金を不正に獲得するため、控訴人の記名印及び代表者印を冒用してその第一裏書欄に偽造の裏書をしたうえ、瀬尾に交付したものであり、控訴人は荏原海運の存在さえ知らなかったものである。

2  予備的請求(使用者責任)について

(一) 福本の控訴会社における職務権限は、営業担当部門に限られ、支払権限及び手形の作成権限はなく、このことは、控訴人と取引をする第三者において、福本が営業担当者であるとの認識がある限り自ら明らかであり、しかも福本の控訴会社における職務権限と、同人の現に行った「本件船舶用機器の取引を仮装した荏原海運への融資行為及び支払保証(偽造裏書)」との間には民法七一五条の要件たる職務との密接な関連性もないから、福本の右行為は、外形上も控訴人の事業執行に属しない。

(二) 控訴人と被控訴人間に行われた取引の中には、福本と瀬尾が後記吉沢一弘の指示のもとに同人らの利益をはかるために、控訴人を経由する取引形式を利用した不正かつ仮装のものがあり、また本件手形の裏書に用いられた控訴人の記名印及び代表者印は、営業部門で使用されているもので控訴人が手形用に使用しているものとは別個のものであることは一見して明らかで、さらに右裏書に対する保証料請求に用いられたとされる請求書は控訴人の正規の用紙を用い、控訴人の社印が押捺されてはいるが、右請求書には「裏書保証料」ではなく、「取扱手数料」と記載されており、経理担当者の印もないから、裏書保証料についての正規の請求書でないことはたやすく判別できるものであり、いずれも控訴人が使用者として責任を負担すべき根拠とはなりえない。

(三) 使用者が被用者のした取引的不法行為につき民法七一五条により責任を負うのは、取引をした第三者の信頼を保護することに意味があるのであるから、右第三者において、被用者が職務権限を逸脱していることを知り、又は重大な過失によりこれを知らなかった場合には損害賠償を請求できないものというべきところ、本件取引は三〇〇〇万円を超える高額のものであり、瀬尾は、福本が控訴人に秘匿して荏原海運を設立しその代表取締役となって取引していることを熟知していたのであり、さらに右(二)に記載の諸事情を合せ考えれば、被控訴人には少くとも重大な過失があったことは明らかであるから、控訴人が使用者責任を負担するいわれはない。

三  抗弁

1  手形金請求について

被控訴人は、本件手形の控訴人名義の裏書は福本が偽造したものであることを知ってこれを受領したものである。この事実は、(イ)瀬尾は、株式会社日本リースの営業課長吉沢一弘とは、以前一緒に東京通商に勤務していた関係で親しい間柄であり、福本も控訴人の職員として控訴人と日本リースとの間の取引を担当していたことから、瀬尾と福本とは吉沢を介して知り合い、昭和四五年二月ころから両者の関係は急速に深まり、私的生活においても親密な交わりを結ぶようになっていたが、福本は、控訴人にかくれて荏原海運の経営を行っていることを瀬尾には打ちあけ、同会社の営業の実体についても三欧汽船との取引を含めて詳細に伝えていたこと、(ロ)本件を含む荏原海運に関する交渉は、控訴人に知れないよう電話による場合のほかは喫茶店等で行われていたこと、(ハ)本件手形が福本から被控訴人に交付されて間もないころ瀬尾は福本や控訴会社専務取締役兼営業本部長水島力夫らとゴルフをしたことがあるがその際右偽造の事実が水島に知れるのをおそれていた福本から本件取引にはふれないよう念を押されていることからも明らかである。

2  予備的請求について

仮に本件取引に関して被控訴人に重大な過失がなかったとしても、右二の2の(三)の(イ)ないし(ハ)に記載した事実からすれば、少くとも被控訴人には軽過失があったことは明らかであるから、損害額を定めるにつきこれを斟酌すべきであり、被控訴人の請求は三分の一に減額すべきである。

四  抗弁事実に対する認否

被控訴人が、本件手形の控訴人名義の裏書が福本によって偽造されたものであることを知って受領したとの点及び本件取引に関し、被控訴人に過失があったとの点はいずれも否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

第一手形金請求(本位的請求)について

一  《証拠省略》によれば、被控訴人は、原判決添付の手形目録(1)ないし(10)に掲げられた各手形要件の記載ある約束手形一〇通(以下これを総称して本件手形という。)を現に所持していること、被控訴人は、右手形目録(7)の手形の白地であった受取人欄に「荏原実業株式会社」と補充したうえ同目録(1)及び(6)の手形をその満期日の翌日に、その余の手形を各満期日にそれぞれ支払場所に呈示して支払いを求めたが、いずれも取引なしとして支払いを拒絶されたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二  次に、本件手形の各第一裏書が控訴人の意思に基づいてなされた真正なものであるか否かについて考えるに、本件全証拠を検討してもその真正を証するに足りる証拠はなく、却って後記三の1に認定のとおり右裏書は、昭和四六年一一月、当時控訴会社の営業第一部第二課長であった福本陽市がその権限がないのに控訴人の記名印及び代表者印を無断で使用して本件手形の第一裏書欄にこれらを顕出して控訴人名義の裏書をしたうえ、これを被控訴人に交付したものであることが認められる。

三  ところで被控訴人は、仮に控訴人名義の裏書が真正になされたものでないとしても、表見代理の法理の類推適用により控訴人は裏書人としての責任を免れない旨主張するので、以下この点について検討する。

1  まず本件手形の控訴人名義の裏書がなされた経緯についてみるに、《証拠省略》によれば、

(一) 昭和三八年控訴会社に入社し、同会社営業第一部第二課長代理を経て昭和四六年六月以降右第二課長の職にあった福本陽市は、控訴会社に勤務する傍ら昭和四四年一二月控訴人に秘して荏原海運株式会社(以下荏原海運という。)を設立し、自らその代表取締役となり、船舶の貸渡、仲立及び船舶用機器類の売買等の営業を行っていたが、かねて控訴人の取引先であった株式会社日本リース(以下日本リースという。)を通じて海運業及び仲立・代理業を目的とする三欧汽船株式会社(以下三欧汽船という。)と接触し、昭和四六年六月ころには、三欧汽船の代表取締役が荏原海運の監査役を兼ね、また三欧汽船が日本リースから借り受けた船舶を荏原海運がさらに三欧汽船から借り受けて海運業を行うなど緊密な関係にあったが、昭和四六年一〇月ころには両会社共経営に行きづまり、資金繰りが極めて困難な状況にたち至っていた。そこで福本は、被控訴人から仮装の取引によって資金を獲得することを企図し、同月下旬ころかねて取引を通じて知り合い懇意な間柄にあった被控訴会社専務取締役瀬尾文男に対し、「控訴会社では三欧汽船から八千万円にのぼる船舶の発注を受けたが、もともと利益が少く、本来なら控訴会社から被控訴会社へ下請させるところだが、それでは控訴会社の利益率を低下させることになるので、その一部である船舶用機器約三千万円分について、被控訴会社が三欧汽船から直接注文を受けて欲しい。そして右機器一式は荏原海運が三欧汽船に直接納入することになっているから、被控訴会社から荏原海運に発注し、同会社に代金を支払ってもらいたい。そうすれば三欧汽船が被控訴会社に延払いの趣旨で手形を振出して支払い、その差額は被控訴会社において利益として取得できる。」との趣旨の商談を持ちかけた。瀬尾は、被控訴会社代表者吉田昭三と協議検討した上福本に対し、三欧汽船の手形に保証の趣旨で控訴人の裏書がえられるならばこれに応じてもよい旨を伝え、瀬尾、福本間で交渉の結果同年一一月初旬三欧汽船が被控訴人に第五二、五三船用機器一式を三、四〇一万二五〇〇円で発注し、三欧汽船がこれを昭和四七年三月より同年一二月まで一〇回に分割して支払うものとし、その支払いのために満期を同年三月二〇日から同年一二月二〇日まで毎月二〇日とした本件手形(一〇通)を振出し、控訴人がこれに裏書をして被控訴人に交付し、被控訴人が右機器を荏原海運に発注して直ちに代金三〇三〇万円を支払うと共に、控訴人に対し裏書の保証料の趣旨で六〇万円の支払いをする旨の合意が成立した。(以下この取引を本件取引という。)

(二) 福本の控訴会社における主な職務内容は、同人の所属する営業第一部第二課が主として油圧機器、船舶機器等を取扱っている関係上これら商品の仕入れ及び販売につき取引先との交渉に当ると共に同課の職員を統率することにあり、標準価格の設定された品目を、当該標準価格で販売する場合の契約締結の権限を有するほかその他の契約締結の決定は上司の決裁を要する建前とされていた。もっとも営業課員の処置には大幅な信頼がおかれていたので、契約内容はおおむね各担当課員によって作成された案のとおりに決定されてはいたが、しかし取引先に交付する手形は、総務部経理課において同課が保管する手形用の記名印及び代表者印によって作成されることとされ、営業部門においてこれがなされることはなく、又営業担当者が取引先に直接手形を交付するということも殆んどなかった。

(三) このように、福本には手形作成の権限はなく、まして本件取引は前記のとおり福本が荏原海運への資金獲得のために控訴人に秘して仕組んだものであるから、控訴人によって真正な裏書がなされる由もなかったのであるが、被控訴人から控訴人の裏書を要求されたため、福本は、同年一一月半ばころ、控訴会社二階事務室において勤務中、同社の営業管理部購買課が保管し、営業部門で使用している同会社代表取締役の記名印及び同会社専務取締役兼営業本部長水島力夫が保管し契約書等に使用する代表者印をいずれも無断で取り出した上、拒絶証書作成義務免除の記載ある本件手形一〇通の各第一裏書欄にこれを押捺して控訴人名義の第一裏書を完成し、同日ころ被控訴会社に赴いて前記吉田社長と瀬尾とが同席している際に吉田に交付し、被控訴人からこれと引換に、荏原海運に対する支払いとして、原判決小切手目録記載の1ないし4の小切手四通(額面合計三〇三〇万円)の交付を受けた。右1、2の小切手は、同月一九日三欧汽船名義で、3、4の小切手は同月二〇日荏原海運名義でそれぞれ支払呈示があって支払いがなされた。

との事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  そこで本件手形の裏書が真正になされたものでないことを被控訴人が知って交付を受けたものであるかどうかについて考える。

(一) 控訴人は、本件手形の控訴人名義の裏書は福本が控訴人に無断でしたことを被控訴人が知って受領したものである旨主張し、《証拠省略》中には、この主張に副う供述記載又は証言部分がある。

(二) しかしながら、(イ)原審及び当審証人瀬尾文男の各証言並びに当審における被控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴会社は、代表者吉田昭三と瀬尾とが、昭和四〇年六月に、同人らがそれまで勤務していた会社を退職して共同で設立し、主として株式会社安川電機製作所の製品販売に関する代理店業務を営み、本件取引当時年商約三億円、従業員が数名程度という小規模な会社であるが、右両名はいずれも他に副業があるわけではなく設立以来互に協力して同社の経営にすべてを傾注してきたもので、こうして同社は今日までおおむね堅実な歩みをたどっていることが認められるところ、偽造の裏書によって本件手形を入手した結果、もし取引額の三千万円余の回収ができないことになれば被控訴人の受ける打撃は極めて重大なものであることは被控訴会社の規模からみて明らかである一方、仮りに振出人である三欧汽船又は裏書名義人である控訴人から手形金の支払いを受けえたとしても、本件取引によって控訴人の受くべき利益は、本件手形金額の合計から被控訴人がそれぞれ荏原海運及び控訴人へ支払うべき発注額及び保証料を控除した額であって、しかも本件手形金の完済までに一年余を要し、その間の金利分も相当の額にのぼり、被控訴人の収めうる純益はさほどのものでないことに鑑みると、被控訴会社の出資者でありかつ経営者である吉田または瀬尾が本件手形の裏書が偽造によるものであることを知りながら、かかる危険を冒してまで本件取引をするとすれば、他に本件取引が被控訴会社、吉田または瀬尾らに何らかの特別な利益をもたらすものであるなどこれを首肯するに足りる特段の事情があってしかるべきであるのに、これを窺うに足りる証拠はないのである。(福本と瀬尾とは、取引を通じて相当懇意な関係にあったことは明らかであるが、それ以上に右のような危険を冒してまでも本件取引に応ずるような共通の経済的利害を伴う間柄にあったことは証拠上認めることができない。なおこの点に関連して控訴人は、福本が控訴人に秘して荏原海運を経営していることを瀬尾は熟知していた旨主張し、前(一)に掲記の証拠中にはいずれもこれに副う部分があるが、しかし、仮にこのようなことがあったとしてもそれだけでは瀬尾が、かかる危険な取引に応ずるとは考えられないのみならず、右各証拠は後記(ハ)に述べるとおりそれ自体信憑性に乏しく、《証拠省略》と対比して信用できない。)また前掲瀬尾証言及び被控訴人代表者尋問の結果によれば、吉田及び瀬尾は、本件取引をするに当り、発注者でかつ本件手形の振出人でもある三欧汽船が、被控訴人にとっては未知の会社であり又注文先である荏原海運についても同会社は控訴人の系列会社であろうとの推測しか抱かず、右各会社についてその実体や信用状態を調査することなく福本の指示説明を了承して右取引に応じ三千万円を超える支払いをしたことが認められこれに反する証拠はないが、このことは、ひとえに本件手形が十分な信用を有する控訴会社による裏書がなされることを信頼したからにほかならないとする右証人及び代表者の供述の信憑性を裏付けるものである。さらに(ハ)控訴人の前記主張に副う乙第一四ないし第一六、第二一、第三五号証(いずれも福本の供述書又は供述録取書)及び当審における証人福本の証言部分は、原審における同証人の証言に明らかに反しているばかりでなく、右各供述や供述録取書相互の間にもかなり顕著な相違点がみられるほか、乙第二一号証の如きはそれ自体の中で前半と後半との間にさえ微妙な相違がみられ、又乙第一三号証(鈴木久司の供述書)のこの点に関する供述記載部分は、個々の断片的ないし間接的事実から右主張に副う事実を推測したものであるが、その根拠とされる事実の有無も多分に疑わしいものがありその推測も短絡的で合理性を認め難いものがある。これらないしに指摘した諸点に前掲瀬尾の各証言及び被控訴人代表者尋問の結果と弁論の全趣旨とを合せ考えると、控訴人の主張に副う前掲各証拠は、たやすく信用できないのであり、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(三) なお、《証拠省略》によれば、福本と瀬尾との取引に関する交渉はしばしば喫茶店などを利用して行われたことが認められるけれども控訴会社及び被控訴会社における同人らの職務内容、勤務態様等からみて特に異常なものであったとは考えられず、このようなことから、瀬尾が本件取引は架空のものであり本件手形の裏書が福本によって偽造されたものであることを知っていたとは認められない。また本件手形は前認定のとおり福本が被控訴会社事務所に持参して交付しているけれども、この点も後記のとおり本件取引の形態からみると右控訴人の主張を推認するには足りない。さらにまた《証拠省略》によれば、本件取引後間もないころに、瀬尾は、福本や前記水島専務とゴルフをしたことがあり、その際福本から、本件取引については自分の方で水島専務によく伝えてあるからふれないでよいとの趣旨のことをいわれたので同専務には通常の挨拶をしたにとどめ、本件取引には触れなかったことが認められるが、このことは、もし福本が瀬尾に対しそのような指示をしなければ、瀬尾が水島に手形裏書の件について謝辞を述べるかも知れない状況にあったこと、すなわち瀬尾が福本によって裏書の偽造について知らされていなかったことを推認させるものである。

3  以上1、2に説示したところからすれば、福本は、前記第一、三、1、(二)で認定した権限を有するのみで、手形の振出・裏書等の権限は与えられていなかったのにもかかわらず、本件手形の各裏書欄に直接本人名義の記名捺印を顕出する方式(いわゆる機関方式)によって手形行為をしたものであり、かつ裏書譲渡を受けた被控訴人は、右裏書が偽造にかかるものであること及び福本が右裏書のなされた手形を被控訴人に交付する際、これを無権限でしたことを知っていたとの証明はないのである。

ところで、機関方式による裏書譲渡を受けた者が、右裏書が正規の手続で真正になされたものでありかつこれを交付する者がその権限を有していると信ずるにつき正当な理由がある場合には、民法一一〇条を直ちに適用できないが、表見代理制度の法意に照らし、その信頼が取引上保護に価する点において代理人の代理権限を信頼した場合と実質的に異らないから、同条を類推適用して本人がその手形行為について責任を負うものと解するのが相当である。

そこで、被控訴人が、本件手形を取得するにつき、右正当な理由があったかどうかについて検討するに、

(一) 被控訴人と控訴人との間には昭和四五年二月以降本件取引が行われるまでの間に、主に被控訴人が控訴人から電気機器の発注を受けてこれを納入するなど二〇回余にわたり総額三三〇〇万円を超える取引が行われ、その中には一回分の取引額が数百万円から一千万円を超えるものもあったが、これらの代金の支払いは、各取引の都度約旨に従って確実に履行されており、その際の控訴人方の契約担当者はつねに福本のみであったこと

(二) 前記のとおり本件手形の裏書に関しては、福本から被控訴人に対し保証料の趣旨で六〇万円の請求がなされ、被控訴人はその支払いをしたが、《証拠省略》によれば、その際被控訴人に交付された請求書及び領収書は、いずれも控訴人が取引において使用する控訴会社名の印刷された正規の用紙が用いられ、これに控訴会社の印が押捺されており殊に右領収書は同会社の内部決裁を経て発行されたものであることが認められること(もっとも右請求書には品名の欄に「保証料」ではなく、「取扱手数料」と記載されているが、前認定のように裏書の偽造について何ら知らされることのなかった吉田又は瀬尾がこの点について意を用いなかったとしても別段異とするに足りない。)

(三) 本件手形の裏書に使用された記名印及び代表者印は前記のとおり控訴人が手形用に使用するものとは異なるが、営業課において使用されている正規のものでありかつ《証拠省略》によれば、両者を仔細に比較対照しない限りその相違を発見できない程度のものであるから前者の記名印及び代表者印の押捺された手形を受領したことだけでそれが控訴人の正規の手形でないことを知ることは到底できないこと

(四) 本件手形が営業担当者である福本から交付されてはいるが、本件手形の交付は、控訴人から被控訴人への代金の支払いという意味のものではなく、三欧汽船の被控訴人に対する代金支払いを保証する趣旨で三欧汽船振出の手形に控訴人が裏書をするというものであることから、経理課の窓口を経ることなく、営業担当の福本が直接被控訴会社に本件手形を持参しても、不自然とは考えられないこと

以上の点を総台すると、被控訴人が本件手形を取得するにつき、控訴人名義の裏書が控訴会社において正規の手続により真正に成立したものでありかつ福本がこれを交付する権限があると信ずるにつき正当な理由があったと解するのが相当である。(なお、本件において被控訴人は本件手形の裏書譲渡を受けるに当り、控訴人代表者又は控訴人の内部事務分業上正当な裏書権限のある者(経理課長ないし営業部長)に対し、本件手形上の控訴人名義の裏書が真正になされたものであるか否かにつき確認したことを認めるに足りる証拠はない。しかしながら民法第一一〇条の適用にあたって、無権代理人の相手方が本人に無権代理人の権限の有無を照会することを怠ったために代理権ありと信ずるにつき過失があったとされるのは、本人にそれを照会することが一挙手一投足の労であり、かつ本人がこれに対しただちに明確な回答を与えうることが予想しうる場合のことであって、本件のように本人が相当の規模を有する株式会社である場合には、そのような照会に対し回答を与えること自体が会社内部の事務分掌上会社代表者あるいは裏書権限者の所掌事務とされているとは限らないから、外部の者から見ればそのような照会を何人に対してなすべきかが不明であると同時に、ただちに照会に対する回答がえられると期待しえないのが通常であるから、仮りに被控訴人が前述の照会をしなかったとしても、その点をとらえてただちに被控訴人に過失があったものというのは当らないというべきである。)

また、前記のとおり被控訴人は、三欧汽船からの受注及び荏原海運への発注に関する商取引の実体や本件手形の振出人である三欧汽船の信用状態を確認しないまま本件取引に応じたものであるが、福本からの説明が前記のような内容のものであったことからすると、被控訴人の右のような対応も首肯できないではなく、殊に《証拠省略》によれば、本件取引と類似の形態のものがかつて控訴人と被控訴人との間に福本を通じて行われ、この取引は控訴人において少くとも当時は正規の取引として処理されその支払関係も約旨のとおり実行されていることが認められるから、被控訴人がこのような事情をもふまえて、控訴人の裏書がえられる以上福本の申入れを了承し右のような調査をすることなくこれに応じたとしても不当であるとはいえず、この点は前記の判断を左右しない。

四  以上のとおりであるから本件各手形金及び各満期の日の翌日から支払いずみまで手形法所定の利息の支払を求める被控訴人の主位的請求は理由があり、これのみを認容すべきである。

第二結論

よって被控訴人の主位的請求を棄却した原判決は不当であるから、原判決中右棄却部分はこれを取り消して右請求を認容することとする。被控訴人の予備的請求については主位的請求が認容されることとなった以上、これに対する判断は不要となったのであるから(昭和三九年四月七日最判)、原判決中予備的請求認容部分を取り消すことを要しないし、もっぱら予備的請求の認容に不服を唱える控訴人の控訴についても、主文でこれを棄却する必要を見ない。なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川義夫 裁判官 高木積夫 清野寛甫)

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